ヒデジジとノリババ

秀ジジと典ババが元気なことを、娘・孫・友人達に報告する。

掲載期限=次の旅まで
♪♪亜麻色の長い髪の・・・♪♪枠外の背景色が亜麻色だそうです。

ふたご座流星群
12月14日はふたご座流星群のピーク日だ。天候の条件が良ければ、30個/H程度の流星群が期待できそうだ。13日(土)か14日(日)のいずれかにどこかに宿泊して、流星群を見たい。
候補地・・・太平洋側で東の空が開けている宿
①南紀勝浦から串本の間
②休暇村南あわじ・・・11月末にHPを確認したら、空室はなかった。
③亀の井ホテル高知・・・星を見に行くためだけには、少し遠いな。
ということで、今年は南紀へ行くことにした。21:00を過ぎてから建物から出て夜空を見上げるのは寒いので、部屋の中から見れそうな宿を探した。
晴れそうなことを確認してから、宿の手配をしよう。そんなことしていたら空室が無くなるかもしれないが、満室になれば、行くのを諦めよう。ということで、スマホのアプリで2週間先が表示されるのを待った。
12月6日の情報・・・串本は、13日(土)午後から14日(日)の昼過ぎまで雨になった。京都の方が少し小降りだが、紀伊半島全体が雨らしい。星が出てくる時刻には晴れているが、星が見えるような快晴かどうか怪しい。流星群を見に行くのをあきらめよう。
12日(金)になっても、天気予報は回復しなかった。
残念だが、来年に期待しよう。



メタセコイヤの並木道
今年の夏は猛暑で、紅葉は色がイマイチだろうと思い、出かけなかったが、マキノ高原のメタセコイヤだけは期待して行くことにした。紅葉の時期を見定めるのはさくらの満開より難しい。 昼食は蕎麦にしようと、蕎麦屋が定休日ではない平日を捜した。12月1日(月)がよさそうだ。
孫娘を誘って、3人で出かけた。


12月1日(月)
湖西道路を北上し、高島市で琵琶湖畔へ向かい、蕎麦舗はり江へ到着。
蕎麦
1=一人、京都生まれの娘がいた。ニシン蕎麦を注文した。
2&3=二人は神戸生まれ。はるか以前だが、京都に来て初めて”ニシン蕎麦”を知ったが、ざるそばを注文した。

湖西道路に戻り、北上し、メタセコイヤの並木道に到着。
紅葉1 紅葉2
典型的な茶色の紅葉だ。並木道は2.4Km続く。入り口の手前から大渋滞だったが、途中の駐車場を過ぎてからは、快適な込み具合になった。
駐車場1 全長=2.4Kmだが、1.8Km位の左手(進行方向側)に小さな駐車スペースがある。ここに停められた。ラッキー。並木道まで5mだ。

紅葉3 紅葉4 紅葉5
来た証拠の記念撮影を済ませたが、孫娘が、「馬がいるはずの所まで戻る(歩く)」と言い出した。
1Km位歩かねばならない。一旦、北の端まで車で行って、道の駅に行って、何か美味しいものがないか確認してから、並木道を南下することにした。その時に、馬がいるはずのメインの駐車場に車を停めようと言うことになった。
紅葉6 南行は余り渋滞せずにスムーズに駐車場に近づけた。写真の左前方が駐車場の出入口だ。平日だのに人がウジョウジョいる。並木道に近い所には車を停められなかったが、奥の方には停められた。結果的に、馬がいる所に近かった。

馬1 馬2 馬3

馬4 馬5 馬6
売店に馬のエサのニンジンを買いに行ったら、そこの子馬にはエサを与えないで欲しい。朝から小さい子供たちがいっぱい来て、みんながエサをあげたので、食べすぎ状態です。エサをあげるのなら、右手奥の馬小屋にいる大きい方の馬にあげてください、と言われたらしい。
馬7 馬8 馬9

この馬達は乗馬用の馬で、希望すれば有料だが、引馬で乗せてもらえる。他に、馬車にも乗せてもらえる。馬車は満員だった。
芝生の屋根 馬がいる施設(馬小屋、売店など)の屋根は全て天然芝だった。所々からしずくが滴り落ちている。夏は涼しいのだろうな。

湖西道路は大きな渋滞はなく、16:00頃に戻れた。


しらびそ高原

夏・8月の最大の楽しみはペルセウス座流星群です。ピークは8月12日の23:00~13日の03:00ですが、最近、これが見えたことがない。遠くへ出かけると、お盆の帰省ラッシュに巻き込まれるし、どこの宿も特別料金で高い。この時期は、小さい規模(1時間に2~3個)の流星群が続いているので、ペルセウス座流星群以外の日に見えたらラッキーで近隣を捜して、しらびそ高原天の川ホテル(長野県飯田)に行くことにした。
しらびそ しらびそ高原は標高1918m

近くに日本一星空が美しい村で売り出し中の阿智村があり、へぶんす園原へ行くのだと思うが、その標高=1400mだから、しらびそ高原の方が好条件だと考えられる。

7月31日は、規模は小さいが、みずがめ座流星群のピーク日。
20:00・・・火星が西の空に沈む。さそり座がほぼ真南
21:20・・・みずがめ座が東南東の空に昇り始める。
22:30・・・土星が東の空に昇り始める。
03:30・・・金星と木星が東北東の空に昇り始める。
04:00・・・東の空が明るくなり始める。
天候が悪い場合に備えて、2連泊する。

7月30日(水)
自宅→宇治東IC→飯田山本IC→しらびそ高原

しらびそ 長野県飯田山本ICから南アルプスへ向かう斜面にしらびそ高原があり、標高1918mの位置に”天の川”というホテルがある。

中央アルプス
木曽駒ケ岳(2956m)
空木岳(2864m)

南アルプス
北岳(3193m/日本で2番目)
赤石岳(3120m)
聖岳(3013m)

中央アルプスと南アルプスの間の盆地を伊那谷と呼び、この地図上で、さらに北へ行くと、”かんてんパパ”の工場があり、さらに北には桜で有名な高遠(城)がある。中央高速道の飯田山本ICから、この 伊那谷を横切って、南アルプスの斜面を登って行く。飯田山本→しらびそ高原天の川ホテル=63Km。 上り始めの所にR152があり、その標高は1000m前後。ここから900m登る。 マイカーで行ける高さとしては、富士山5合目を除けば、トップクラスです。(美ヶ原が2000m) R152沿いに、中央構造線の断層などが地上に現れた露頭と呼ばれる形跡が並んでいる。 地図に示した以外にも露頭があるようだ。
地震が騒がれている時期なので、少し気持ちが悪い。
南アルプスの山脈を越えれば、浜松、静岡、身延町です。

中央構造線 ・・・阿蘇山→大分・佐賀関→佐田岬半島→愛媛県南部→吉野川→淡路島の南の端→紀の川→ 渥美半島→今紹介した南アルプスの山裾→諏訪湖→下仁田→寄居(埼玉県)まで確認されている断層
地図を見ると、川が流れていたり、陸地の淵だったり、谷だったり、何となくここに線が走っているように見える。

昼前に飯田に到着。
蕎麦屋 伊那谷には蕎麦屋が多い。ネットで調べておいた小木曾製粉所で昼食の蕎麦を食べた。製粉工場の片隅に併設の蕎麦屋かと思っていたのに、100人位が入れそうな大きな蕎麦屋だった。量産屋で味は大したことはないだろうと思ったら、本格的な手打ち風味でおいしかった。何よりユニークなのは、”ざるそば並・中・大”のどれを頼んでも680円だった。

ホテル1 ホテル2 R152から、しらびそ高原へ向かう”登山道”に入って、30回以上ヘアピンを曲がって、ようやくホテルにたどり着いた。ホテルはほぼま東を向いて建っていた。我が家の部屋は2階で、東向きの大きな窓がある。多分、赤矢印の部屋だ。

南アルプス 16:00頃から、曇ってきた。窓から見える南アルプス。フロントで確認したら、ここから北岳(富士山の次に高い山)は見えないらしい。 18:00頃には完全にガスの中、多分、雲の中に入ってしまった。22:00までに、この雲が、我々より低い位置に下がるのを期待しよう。

夕食 夕食会場と夕食。予想以上に多くの人が宿泊している。 おいしい夕食だった。 北海道旅行から帰った時、血圧が160を越えていた。おいしい食事=塩分が多い。塩分の採りすぎだ。帰ってから、塩分を控えて、何とか140以下になったが、この旅行に来ておいしい食事を採ると、また血圧が上がるのだろうな。

22:30フロントから、「ホテルの上の空に星が見え始めました。」と館内放送があった。すぐに窓から外を見た。なるほど、ホテルの真上は星がきらめいているが、低い位置は雲(霧)に囲まれている。みずがめ座(流星群の放射点)は霧の中だ。多くの人が、ホテルの前の広場から空を見上げている。30分くらいで、ホテルの上もガスがかかってきた。残念!
この続きは午前0時を過ぎるので、7月31日の項で報告

7月31日(木)
しらびそ高原→大鹿村中央構造線博物館→しらびそ高原

トイレで目が覚めた。00:30だった。トイレから戻り窓の外を見たら、星が見えている。正面左寄りに明るい星があり、スマホのアプリで星座を確認したら土星だ。その右側にみずがめ座があるはずだ。流星群の放射点もアプリで表示されていた。窓際の椅子に座って、見続けた。 ヤッター!見えた!左から右に。バアバは見えなかったらしい。もう1個、短い軌跡で右から左に。 椅子から見ていると首が痛い。布団に寝ても見えそうだ。放射点の位置と方向を確認しながら、布団の位置と枕の位置を調節した。部屋の灯りが窓ガラスに写り込むので、全部消したので、歩くのも怖い。多分、30分位で正面の星にもガスがかかった。残念。これまでか! 多分、眠ったのだろう。目が覚めた。スマホで確認したら、02:30だ。正面少し斜め上に土星が移動していた。ということは、放射点はあの辺りだと見当をつけて見ていたが、窓枠の上ギリギリだ。バアバと協力して、布団を斜めにして、枕を窓に近づけて、視界を広くした。 ヤッター!流れた。短い軌跡だったが、もの凄く明るかった。短いが明るい軌跡が3つ位見えた。30分くらいでガスがかかった。今夜(今朝?)はこれで終了。今夜に期待しよう。 06:00前に目が覚めた。南アルプスの山並が見えている。バアバは窓際の椅子に座って外を見ている。 数人が、外からホテルに戻ってきたらしい。フーン、どこかに御来光(日の出)を見に行ったのだろう。 06:30頃、谷底から雲(霧)が上がってきて、やがて南アルプスが見えなくなった。山並を写真に撮ろうと思っていたが、逆光だったので、太陽が高く上るのを待っていたのに、世の中ままならない。山並の写真を撮りたかったら、早起きして、太陽が山並の上に出る前に撮らなければならないのかな。

バ=モモが食べたい。モモを買いに行こう。ジ=飯田はリンゴの産地だ。モモはないだろう。 バアバはネットで松川ICの近くにモモの直売所を見つけた。 スマホの地図アプリでセットして出発。
大鹿村 しらびそ高原から坂を下ると、すぐに御池山隕石クレーターがある。 2~3万年前に、直径約45mの小惑星が御池山南東斜面(ホテルの南西2.2Km)に衝突したと推測されている。クレーターの直径は約900mで、現在、御池山の尾根沿いを中心にクレーター地形の約40%が残っているということを発表したが、多分、まだ認定されていない。

隕石クレーター1 隕石クレーター2 隕石クレーター3

隕石クレーター2 隕石クレーター3 左端の写真は、隕石クレーターの遠い方の壁の斜面。実際には森林。深い谷がありそうだと思えるだけで、感激するような景色(形跡)はない。

R152に沿って、中央構造線の断層がむき出しになった”露頭”が多くあり、大鹿村はそれを博物館の形態で、来館者に見せてくれる。しかし、その露頭が災いし、R152の地蔵峠は、災害で崩れて復旧できておらず、大きく遠回りしてゆかねばならない。

ホテルの人に聞いた話だが、5年前に大きながけ崩れがあり、復旧工事をした。工事は下から上に向かって行い、3年目まで進んだ時に、また上が崩れて、一からやり直しているらしい。下から復旧させずに上から工事したら良いのにと思うだろうが、上から工事をすると、機材や資材をヘリコプターで運び上げねばならず、工事費が高くなるので、下からモノレールを利用しながら工事するしかないのだそうです。今、2年目だから、これから完成するまで、激しい雨が降らないことを祈るだけらしい。

何十回もヘアピンを折り返して、下栗の里を通って、R152まで下りた。
下栗の里・・・秋になると、どこかの大手旅行代理店が、小型バスでしか行けない秘境というタイトルで旅行を募集する場所だ。段々畑が見えたが、車を停めて撮影するほどのものではなかった。 何回も右折左折を繰り返し、”JA南信州直売所もなりん”に到着。地図アプリは 、伊那谷をほぼ端から端まで斜めに最短コースで横切らせたようだ。もっと外郭を単純に案内すればいいのにと思ったのは結果論です。
バアバがモモを買いに行こうと言ったのは、大鹿村よりもっと向こう(東)だ。
直売所 モモ

直売所の向こうに見える山は中央アルプスの木曽駒ケ岳だと思う。持ち帰り用に、規格外のモモを1ケースと、今日食べるモモ1パック(2個)を購入。伊那谷は標高500mくらいで、30℃を越えており、車を停めてモモを食べれる場所はなく、ホテルに帰ってから食べた。

→大鹿村の中央構造線博物館へ
細い曲がりくねった道をクネクネと走りたどり着いた。途中、中央新幹線(リニア新幹線)の工事関係車両というステッカーを張ったダンプカーと何台もすれ違ったり、併走した。彼らは一般車両が後に付くと積極的に、道を譲って追い越させてくれた。
博物館の客は我々2名だけだった。
博物館1 博物館2 博物館3

博物館4 博物館5 博物館6 多くの岩石標本があり、中央構造線の構造が判るように切り取った断面サンプルが展示されていた。フーン、こんなに多くの岩石の種類があるのだ。その成り立ちの説明パネル作りだけでも大変な労力だ。これを指揮した人は、きっと”岩石オタク”だなと思った。

大鹿村と南北朝
南北朝 GoogleMap上で、大鹿村辺りに、城跡やお堂が多いのが気になり調べた。
城跡は武田信玄の勢力範囲を示すもののようだ。
御所平 ・・・宗良(むねなが)親王=後醍醐天皇の子供 が、大鹿村に30年間住んでいたらしい。つまり、南朝の拠点であった。
南朝の拠点は、奈良の吉野か五條だけだと思っていたが、こんな所にもあった。 親王として天台座主を務めたが、後醍醐天皇が南朝を形成した時点で、還俗した。 後醍醐天皇は、子供たちを各地に派遣し、南朝の拠点とした。宗良親王が大鹿村に派遣された。 ここから近隣へ出兵したようだが、ことごとく失敗した。 宗良親王は、信濃大王とも呼ばれる。

天台座主・・・比叡山延暦寺の住職/末寺を含む天台宗のトップ
この年になり、後醍醐天皇、足利尊氏が南北朝に分かれた背景などが理解できるようになり、それらの行動 を人間臭いと思えるようになった。学校で習った社会科は、そんな人間臭さを教えはしない。多少、教える人 の個人的見解の方向に傾いてもいいから、そんな人間性臭い背景に興味を感じさせたら、社会科の人気も高まる のにと思う。

足利尊氏・・・元々は後醍醐天皇に仕えて、その軍隊として活動していたが、独立して行動し始めた。さて、尊氏は、どう考えていたのかを知りたい。
①この人(後醍醐天皇)に日本の政治を任せられない。
②この人(後醍醐天皇)より、自分の方がリーダーに向いている。
③自分は清和源氏で、元々は皇室なのだ。後醍醐天皇と足利家は、全くの対等な立場である。
④落ち目の天皇家であっても、いざ滅ぼしにかかると、日本国中から想像を絶する多くの勢力がそれを防ぐために集結する?それには逆らえない?
足利尊氏は、後醍醐天皇を捉えてどこかに島流しにすることも可能だったと思うのだが、南朝を形成して政府(朝廷)として活動するのを放任している。多くの実力者が天皇(上皇)を幽閉したり島流しにするが、処刑した人はいない。その理由が知りたい。王を処刑しない。それが日本なのかもしれない。足利尊氏は後醍醐天皇の菩提を弔うために天龍寺を建立している。経済的にかなりの負担だったようで、それに見合う価値があったのだろうかと思う。

大鹿村に来るまでにクネクネとヘアピンを曲がったのとほぼ同じ回数クネクネと曲がってホテルにたどり着いた。

夕食 今日も夕食会場にはかなり多くの宿泊客がいた。昨日も今日も満室の雰囲気だ。人気の宿のようだ。 夕食は昨日とは違うメニューだった。デザートはアンコが入った饅頭だった。久しぶりのアンコでおいしかった。

布団 邪魔な障子を外して、布団を窓に近づけて敷いた。早めに寝て、23:00頃起きた。窓の外は、満天ではないが、80%満天の星空だ。自宅前からでは、真冬でもこんな多くの星は見えない。
土星の位置を確認し、その右をじっと睨んだが、流星が現れない。何回か眠り何回か起きたが流星が見えない。03:30に目が覚めた時、バアバが布団の上に座っている。バ=2個見えたわ。ジ=放射点が分からへん。(目印にしていた土星が大きく位置を変えて見つけられない)バ=そんなこと気にせんと見てたら流れるわ。なるほど・・・しばらくして、もの凄く長い流星が現れた。夜空を20~30°横切った。明るくはなかったけど、頭は小型の照る照る坊主みたいで尾っぽを引きながら消えた気がした。さらにしばらくしたら、ゆっくりと光るものが夜空を移動した。流星ではない。そうか、人工衛星だ。夜明け前だから、太陽の光を反射しているのだ。(補足=地上の我々から見ると、太陽は地平線より低い位置で太陽光は届かないが、地上400Kmを飛んでいる人工衛星は、すでに太陽光が当たる領域を飛んでいるのだ)すぐに次の光る物が現れた。今度は点滅している。飛行機? いやこんな時刻に旅客機は飛ばないだろうし、旅客機の両翼のライトは赤と緑?だろう。見えているのは一色だ。そうか、回転しながら飛行する人工衛星で、太陽光パネルが太陽光を反射し、点滅して見えるのだろう。また来た。ラッシュだ。気が付くと、星の数が減っている。空が薄明るくなってきた。山が綺麗だ。
山 逆光になる前に写真を撮ったが、イマイチだな。山の表情がない。イワツバメが飛び回っている。朝のお食事タイムだ。ツバメの保護のために、ホテルの軒下に巣を作るのを黙認しているらしい。そのために、窓ガラスにもフンがこびりついている。多分、飛んでいるイワツバメも映っている。

太陽が稜線から顔を出した。一瞬にして眩しくなった。朝焼けの写真をなんてチャンスはなかった。


8月1日(金)
しらびそ→飯田山本IC→宇治東IC

寄り道せずに、まっしぐらに帰った。
13:30頃、無事帰宅。
標高1900mは涼しかった。昼間でも20℃前後で、夜に窓を開けていると、冷気が入って来た。伊那谷へ降りると、35℃だった。久しぶりに本格的な星空を見た。また行こう!



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